2006年12月16日
Ciao Riccardo, Ciao Alessio
ユヴェントスのベッレッティのGKリッカルド・ネーリ(16歳、12月17日で17歳)と
MFアレッシオ・フェッラモスカ(17歳)が死亡。
見たところ、2人は柵(1.2m)の先にあった小さな湖(長さ約50m、幅約30m、深さは4-5m)に
落ちたボールを拾おうとしていた。
17時30分頃にベッレッティのトレーニングが終了。
ロッカーを最後に出ようとした人がネーリとフェッラモスカの私服がまだあることに気づく。
仲間のうちの1人は2人がボールをとりに貯水池の方向に向かっていたことを思い出す。
彼らはみんなそれを『池』と呼んでいた、ピッチに撒くための水を溜めていた深さ約5メートルの人口池だ。
仲間たちはフィールドの方に戻り、大声で2人の名前を呼んだ、しかし暗く何も見えない。
セキュリティー、警備は照明をつけて探索に加わる。そして叫び声。『ここにグローブがある!』
池のフェンスの近くにあったのはGKネーリのグローブだった。ぞっとする現実。
18時30分頃、消防が到着。ダイバーはフェッラモスカの死亡を確認し、
ネーリはモリネッテ病院に運ばれ蘇生処置が施されたが彼の命を取り戻すことはできなかった。
死因は溺死ではなく低体温症。
2人はボールをとりにフェンスを越えて池に近づいた。
恐らく湿気によって滑りやすくなっていた水際でどちらかが先に池に落ち、
もう1人は落ちた仲間を救おうとしてバランスを失い自らも落ちたと考えられる。
池の内側はプラスチックシートで覆われており、そこには2人が命のために戦い引っかいた跡があった。
気温は約8度、池の水は確実により冷たかった。
コボッリ・ジッリはヴィノーヴォにいてユヴェントス・クラブの会合を終えスタジアムに行くところだった。
彼は留まりブランを呼んだ。
少年たちの家族へ連絡があり、家族は19時30分から20時の間に到着した。
20時30分にジョン・エルカーンが到着。その後オリンピコからセッコ、ランプッラがヴィノーヴォに戻ってきた。
22時過ぎ、ユヴェントスの全てが打ちひしがれていた。誰も言葉を発さない、その時に話すどんな言葉も持っていなかった。
22時30分、家族たちはクラブの車でセンターを後にした。
23時、何とかか細い声で話すことができたのはプリマヴェーラ監督のキアレンツァだった。
「これは途方もない悲劇だ、私は2人とも知っていた、彼らは素晴らしかった。
アレッシオは親善試合にも連れて行った。信じることができない、すまないが信じられないんだ。
私は誰かがこれは本当ではないと伝えてくれるのを待っている。」
:: 調査の令状がブラン、スキンカーリャ(ベッレッティの監督)、フリゾン(ベッレッティのGKコーチ)、
オペッツィ(モンド・ユーヴェ管理)、ソルボーネ(人事)に出された。
検察によると令状は事故を調査するための標準的な手続き。
捜査の焦点はトレーニングが終わった17時30分から最初の警報の18時32分、
1人の身体が発見された20時22分までの経緯。
リッカルドとアレッシオに親愛なる挨拶を、彼らのご家族に巨大な抱擁を、彼らの仲間に心の底からの祈りを。
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二人のご冥福をお祈りします。