2005年08月30日

FightersからDrughiへ

このエントリーの続編みたいなものです。

2005年1月6日は最も古く最も大きく最も有名なグループの将来を決定する一日になった。
タルディーニでのパルマ対ユヴェントスの試合のあと、ファイターズのリーダーは
パルマのサポーターグループと戦いを始めるためピッチで暴れることを決めた。
悲惨な結果、この事件は大々的にテレビ放送され19人のティフォージが逮捕された。
その半数はファイターズに大きな影響を及ぼすリーダーたちだった。
そして彼らには3年間のスタジアムからの締め出しという裁定が下った。
つまりファイターズはグループを統率するリーダーを失った。
それから次の3試合、リヴォルノ、ブレシア、サンプドリアに対するホームゲームで
クルヴァ・シレア、クルヴァ・ノルドにはトップを失ったメンバーがいた。
過去2シーズンのファイターズへの多くの批判の後、グループは
これ以上リーダー無しで継続することはできなかった。

何かショッキングなことが起こるかもしれないという噂が2月6日から始まったが
ほとんどの人たちはファイターズが解散させられるとは信じていなかった。
しかしグループのメインのリーダー(2人は兄弟だ)は全てのスタジアムへの立ち入りを禁止され、
もはやファイターズのために何かをすることができなかった。
2月13日、ウディネーゼに対するデッレ・アルピの試合で、クルヴァ・ノルドは完全に変わった。
ファイターズは公式に解散し、バナーはスタジアムから剥がされた。
約30の異なるファイターズのセクションにあったバナーも全て取り除かれていた。
そしてそこにいたのは1996年以降、その姿を消していたもうひとつの歴史的なグループ
『ドゥルギ』だった。

ドゥルギは再びスタンドを支配した。すなわちクルヴァ・シレアを支配下に置くことを成功させた。
そのバナーはアルディーティ(ファイターズのサブメンバー)、ミラノ(バイキングの新しいバナー)、
様々なドゥルギ(中心にはドゥルギ・サン・マルコ)。
アルディーティ(前のファイターズ)はサイドのポジションを取ることになったが、
彼らがスピーカーと掛け声をコントロールすることになった。
ドゥルギのリーダーは急な支配に対応できず完全な指揮を取れなかったためだ。
ドゥルギには組織されるための時間を必要とした。
しかしチームがピッチに入ったとき、グループは巨大なバナーを示した。
「戻る全ては実際に終わったとは限らない…我々は我々の信念のように…不滅」

ユヴェントスのティフォージは03-04シーズンにファイターズの振る舞いに抗議し始めた。
ティフォージとグループの多くの会員が様々な理由でリーダーに腹を立てた。
また彼らは04-05シーズンのインテル戦でファシストの歌を歌い政治色の強いバナーを示した。
ファシストの一部であることを嫌ったいくつかのグループはこの件でファイターズを脱退した。
またファイターズは03-04、04-05に十分な仕事ができていなかったことでも非難された。
ファイターズへの抗議への引き金となったのは03-04シーズン、
サン・シーロで行われたミラン対ユヴェントスだった。
リーダーの中に闇市場で偽チケットを手に入れ仲間を助けるのではなく
金儲けに心を奪われたものが存在した。
ファイターズのリーダーが偽チケットを売り、チケットを買った多くのティフォージが
スタジアムに入ることができなかった。
それからファイターズは3色の炎、ヘルメット、英語で構成されたものを非難され始めた。
昔、それらは政治的に左であるというシンボルであったが、
現在のリーダーは右寄りでそれを気にしていなかった。
また多数はファイターズの名称をヘイゼルの悲劇の後に奇妙に感じていた。
メンバーもまたスタンドでショーを見せなかったことで非難された。
グループのショーはますます減り、バナーでさえ時にスペルミスであふれていた。
事態に驚くのはユヴェントスのティフォージだけではない。
デッレ・アルピにきた他のチームのティフォージは彼らのチームのマフラーを
何の恐れもなく巻いたままスタジアムの近くを歩くことさえ可能になっていた。

ファイターズが犯した大きな間違いのひとつが1996年に支配を得たとき、
他のグループがクルヴァ・シレアに入るのを禁止したということだった。
彼らは他のグループを排除し一種の独裁的な支配を開始した。
ファイターズは全てがファイターズであるか、ファイターズ以下に属するグループで形成したかった。
この方針はいくつかの歴史的なグループと重要なウルトラをデッレ・アルピから消滅させた。
ほとんどのティフォージは新しいリーダーであるドゥルギがファイターズと同じ間違いを起こさないこと、
他のグループとスタジアムで協力することを望んでいる。

その望みは叶うかもしれない。ドゥルギは他のグループが戻るのを可能にするだろう。
既に『Irriducibili Vallette』や『Area Bianconera』のような大きなグループが戻ってくるという噂さえある。
それぞれのグループはそれぞれのアイデンティティーを主張する。
したがってそれぞれのグループが共存してスタジアムに存在するのは
多くの人たちがスタジアムに戻ってくるためにとても重要である。
ドゥルギにはこれから全ての腹を立てているサポーターたちを復縁させ、
素晴らしいグループを形成させるという非常に難しいタスクを持っている。
それはユヴェントスという愛すべきチームを応援するにふさわしい偉大なグループでなくてはならない。
そこにはファイターズの復活も欠かせない要素になるだろう。

多くの人はデッレ・アルピのバナーのひとつに『Ciao Dino』と長い期間示されていたのを知っているだろう。
ディノは1989年に武装強盗と殺人未遂の罪で逮捕された尊敬される人物だった。
2005年、彼は釈放された。そして彼はドゥルギのリーダーとなった。
ファイターズのリーダーたちがスタジアムから締め出されたと共に、
前の偉大なリーダー、ディノが刑務所からほとんど同時期に釈放されたのは奇妙な偶然だった。
もしファイターズがタルディーニで争いを避けることを選び、
彼らがクルヴァを支配できていたのなら何が起こっていただろうか?

ユヴェントスのグループが何度かの変更があり、安定性を持っていなかったことと異なり、
ほとんどのクラブのサポーターは何十年間も同じグループが支配している。
この事実は他のチームが本拠地に在住するティフォージから構成されている一方で
ユヴェントスのファンが各地に散らばっていることを意味する。
(ファイターズ・ローマ、ヴァイキング・ミラノなど)

2005年4月、デッレ・アルピで対インテル戦が行われた。
そこで前のファイターズのメンバーとドゥルギのメンバーの間で争いが起こった。
ドゥルギのルチアーノ・ダルロ(マルサラ、42歳)、マッシモ・リア(トリノ36歳)、
アントニオ・コルレット(トリノ、36歳)がファイターズのラッファエレ・デ・ヴァイレ(トリノ、24歳)に暴行を加えた。
3人は逮捕されデ・ヴァイレは手術を必要としたが回復した。
この事件によりドゥルギとファイターズの緊張は高まり継続している。
現在ファイターズはアルディーティに名前を変更し、
クルヴァ・シレアから遠くにポジションを取ることを強いられた。
全てが協力し合うことを願っていたユヴェントスのティフォージはこのエピソードに大変当惑し、
また悲しんだ。

This article is written by Danilo Paparazzo
and can be found on his website: GO
Grazie Danilo!

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Comment on "FightersからDrughiへ"

この記事、とてもおもしろかったです。歴史の全てを理解できてはいないと思うけど(汗)
前の記事(昨年11月の方の)も全部読ませてもらいました。当時はまだこちらにお邪魔するように
なってなかったみたいなんですが、それを読んでいれば、3月のデッレ・アルピでのマドリー戦の後に
「ドゥルギ」についてお聞きしたとき、「あ、あの話か~」とピンときたのかも。
あのときは二度手間になるような説明させてしまってすみませんでした;;
でも今回の記事を読んで、じゃあ時期的に、マドリー戦で(『時計じかけのオレンジ』の4人の人影の)マークが
でかでかと出ていたのを見て「なんだか見慣れないような…?」と思ったのも、ドゥルギが復活してから
そんなに期間が経ってなかったからかな?と考えれば腑に落ちるものが。96年以前までいくとわからないので(^^;
当時は、私がボケててそれまでずっとあのマークを見落としてたのかと思ってたんですけど
(解釈間違ってたら指摘してくださいね(^^;)。長文の訳おつかれさまでした!smile2_it

  •  Luka
  • 2005年08月31日 03:01

Lukaさん、おはようsmile2_it
楽しんでもらえて良かったです。Daniloに感謝。
こういうことも理解しながらガラガラのスタンドのわけを考えるのも意味があることだと思います。
読む側も疲れたでしょう。お疲れ様ですwink_it

  •  tacchi
  • 2005年09月01日 06:17

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